基礎ゲンゴロウ学

ゲンゴロウの自然史

多型と性的対立

敵対的共進化

ゲンゴロウ類は様々な性的二型を示すが、多くの種が該当し最も良く知られているもののひとつはオスの前跗節が広がり下面に粘着性の剛毛を密生することだろう。この剛毛は先端が広がり吸盤状に発達する場合もあり、交尾の際メスを捕まえるのに効果を発揮する。

これとは別にゲンゴロウモドキ属とメススジゲンゴロウ属の上翅も性的二型の例として著名である。これらの種は通常の平滑な上翅を持つオスに対しメスの上翅は広範囲に深い縦溝を装い、メススジゲンゴロウ属ではさらにその溝に多くの毛を伴うという顕著な特徴を持っている。

Darwin (1871) は自然選択では説明できない異性間の形質の差異に対して性選択という概念を導入したが、その中でメススジゲンゴロウ属の Acilius sulcatus (Linnaeus, 1758) を例に挙げ、メスの上翅の毛を伴う溝はオスを助けるため、つまりオスがつかまりやすくして円滑に交尾するための適応と説明した。

しかし直感的には吸盤は平らな面に対して最大の吸着力を示し溝のあるメスの上翅はむしろ吸着しにくそうである。実際、このことは実験的にも確かめられている ( Karlsson Green et al. 2013 ) 。つまり Darwin (1871) の説明とは逆にこれらのメスはオスに捕まりにくくなるように進化していたことになるが、これは雌雄で繁殖利益が相反する性的対立 (sexual conflict) が生じた結果、異性間での敵対的共進化 (antagonistic coevolution) が起きている例と考えられる。

繁殖行動は多くのコストがかかるがより多くの遺伝子を残すための投資と考えることができる。しかしその投資にあたって雌雄の利害は必ずしも一致せず、性的対立が生じる。

1個体のメスの産卵数には上限があるのでメスにとって多くのオスと交尾する必要性はあまりない。これに対しオスはより多くのメスと交尾した方が多くの子孫を残せる可能性が高くなる。この時点で既に利害に差ができているが、メスは不必要な交尾により繰り返しオスに干渉、拘束されることにより、体力の消耗、採餌、産卵時間の減少、被捕食リスクの増大などむしろ子孫を残すためにマイナスになる。また2次的に水中生活に適応したゲンゴロウ類特有の事情として空気交換の問題がある。ゲンゴロウモドキ亜科やゲンゴロウ亜科といった大型種の場合交尾後のオスはメスを他のオスからガードするため長時間つかまえたままでいることが多いが、この際オスの下に捕らえられているメスは尾端が水面に届きにくく十分に空気交換ができない。当然体力の消耗も激しくなるだろう。

メスは交尾を嫌い逃げようと抵抗する。オスはメスの抵抗を形態的、行動的に克服しようとし、メスはそれに対抗するように進化する。これが異性間の敵対的共進化である。

旧北区中西部に分布するマルガタゲンゴロウ属、Graphoderus zonatus (Hoppe, 1795) のメスにはオスと変わらない平滑な上翅のものの他に顆粒状の上翅を持つ型 G. z. verrucifer (C. R. Sahlberg, 1824) があり、地域的に出現比率が変わる。

Bergsten et al. (2001) はスウェーデンにおいてこの種のオス前肢の吸盤の数を地域ごとに調べ、 G. z. verrucifer 型の出現比率が高いほどオスの吸盤の数が多くなるという相関を見つけ、性的対立によるものと推察した。

Bergsten and Miller (2007) は世界のメススジゲンゴロウ属の系統図を作成し、同時に種ごとにオス前肢の吸盤の大きさと数、メス上翅の溝の有無を比較しその進化を考察した。それによると、祖先種において平滑であったメスの上翅の点刻が荒くなり、次に毛を伴う広い溝へと変化。時を同じくしてオスの前肢の吸盤は均一な中程度の大きさのものから大きな 3つと小吸盤多数に変わり、さらに極大の 1つと中間サイズの 2つ、小吸盤は数を増やすというように進化した。

日本のヤシャゲンゴロウと北米の 2種はメス上翅に縦溝を持たないが、これら 3種は 2次的に縦溝を失い、北米の2種はオスの吸盤も追いかけて元の大吸盤 3つと小吸盤多数に戻っているという。ヤシャゲンゴロウはメススジゲンゴロウから分化したと考えられるが、メス上翅の縦溝が消失しているのに対しオスの吸盤はメススジゲンゴロウと変わらない極大 1つタイプ。これはメスの進化にオスの吸盤の変化が追いついていない「性的対立による進化の途中段階」と考え、雌雄の進化の順序を示す例と捉えている。またヤシャゲンゴロウとメススジゲンゴロウでオス交尾器の形態や遺伝子に明確な差異が見られないことから、性的対立による進化が他のものに先駆けて素早く進行することを表していると考察した。

このようにゲンゴロウ類のメス上翅に見られる溝や顆粒といった構造は性的対立によって説明できそうに思える。しかし実際はそう単純ではなく、上で紹介した Graphoderus zonatus はなぜ全てのメスが G. z. verrucifer 型にならないのかが説明できていない。ゲンゴロウモドキ属ではメス上翅に条溝がある種と無い種があり、両方の型が同所的に見られる種もある。これらは今まさに置き換わりつつある過程を見ているというよりも平衡状態にあり多型が維持されていると考える方が自然だろう。

負の頻度依存選択

ゲンゴロウ類に限らず遺伝的多型を示す生物は枚挙に暇が無いが、様々な因子が絡み合う野外において多型が維持される要因を判定するのは容易ではない。ただしこうした多型は遺伝的多様性、ひいては種分化とも深くかかわるので古くから盛んに研究されてきた。その過程で多くの多型の維持機構が考えられ、中でも最も強力なものは負の頻度依存選択 (negative frequency-dependent selection) といわれている。これは表現型の少数派が多数派よりも適応度が高くなるような選択圧が働いている場合で、昆虫ではアオモンイトトンボ属 Ischnura のメスの色彩多型の維持機構としてよく例に挙げられる。

例えば、雌雄のそれぞれが二型、オス [a, a′], メス [b, b′] を示す時、 (a, b), (a′, b′) の組み合わせに比べて (a, b′), (a′, b) の組み合わせで交尾成功率が下がる非ランダム交配になっていると仮定する。この際、a型のオスが a′型のオスよりも個体数が多く、性的対立による負の頻度依存選択が働いているとする。つまり個体数の多い a型オスに対応する b型メスはオスによるハラスメントを受けやすくなり適応度が下がり集団中で個体数を減らし、個体数の少ない a′型オスに対応する b′型メスは相対的にハラスメントを受けにくく子孫をより効率的に残せるようになり個体数を増やす。すると遺伝的相関によりそれぞれに対応するオスも結果的に減少、増加する。このような選択は相対的な個体数が逆転するまで続くことになる。

非ランダム交配の強弱、オスによるハラスメントの強弱といったパラメータに依存するものの、こうした条件下では多くの場合多型が維持されることが理論的に示されている ( Härdling and Bergsten 2006 )。

上記の Graphoderus zonatus の場合オスの吸盤の数は二型ではなく連続変異という違いはあるものの、こうした平衡が成り立っている例と考えられる。ただしゲンゴロウ類においてこの理屈が素直に成り立つ例は少ない。

ランダム交配

ゲンゴロウ類の小型種ではメスの上翅や前胸背板がオスと同様に光沢の有るものと網状印刻が強くつや消しになる二型が多くの分類群にわたって見られる。旧北区西部に分布するナガケシゲンゴロウ属の Hydroporus memnonius Nicolai, 1822 も同様だが、光沢メスとつや消しメスの分布は基本的に異所的で混生地は極めて限られる。

Bilton et al. (2008) はそれぞれの生息地でオスを調べ、前中肢跗節に見られる吸盤に差があり、つや消しメスに対応するオスは光沢メスに対応するオスに比べ吸盤の数が多く、存在する範囲も広くなっていることを見出した。つまり雌雄共に明瞭な二型になっていて Härdling and Bergsten (2006) の仮定通りなのだが、上記の通り混生地は少なく多型が維持されていない。どうやらこの種ではつや消しメスに対応する吸盤の発達したオスはつや消しメス、光沢メス両方に有利に吸着でき、非ランダム交配という仮定が崩れているらしい ( Bilton et al. 2008 )。もしこれが事実ならば現在の混生地はやがてつや消しメスだけになり、光沢メスの個体群エリアは徐々につや消しメス個体群エリアに置き換わっていくことが予想される。

Bilton and Foster (2016)H. memnonius 混生地付近での 1970- 1980年代の記録と、2007- 2008年に同所で行った調査を比較して、実際に両個体群エリアの境界が 40- 50km光沢メスエリア側に移動しているのを報告している。

地理的パターンと選択圧

多型が維持されているとき各型の比は個体群間で変わることが多く、しばしば明確な地理的パターンを示す。例えば北海道のゲンゴロウモドキ Dytiscus dauricus のメスは旭川ではほとんど縦溝型なのに対し札幌、苫小牧では平滑型の比率が高くなり、ケシゲンゴロウ Hyphydrus japonicus のメス背面はオスと変わらない光沢の強いものとほとんど光沢の無いものがあるが、前者は四国、九州以南に多いという ( 森・北山 2002 )。

際立った例としてヨーロッパに広く分布する Agabus bipustulatus (Linnaeus, 1767) があげられる。この種は低標高地では上翅に光沢のあるオスと光沢を欠くメスという性的二型で安定しているが、高標高地では雌雄共に光沢のある集団、オスも光沢の無い集団などが入り混じっている。また上翅の網状印刻も詳しく見るといくつかのパターンに分けられ、こうした変異に対し多くの学名が与えられてきた。 Drotz et al. (2010) はこの種を系統地理、遺伝子構造の観点から調べ、これらの型が独立に複数回の進化でもたらされたと結論した。また変異の多様性が明確に標高と相関していることから性選択とは別の選択圧が存在するとし、日射(紫外線)の影響を示唆している。

実際にどのような選択圧が働いているかは集団遺伝学的解析によってある程度推測することができる。 Karlsson Green et al. (2014) はスウェーデンにおいて Dytiscus lapponicus Gyllenhal, 1808, Graphoderus zonatus, カラフトシマケシゲンゴロウの3種を対象にこの手法で多型の維持機構を調べたが、前 2種に対しては遺伝的浮動の可能性も排除できなく、もう 1種のカラフトシマケシゲンゴロウは多様化選択だったという。後者については気温や降水といった環境要因の影響を指摘し、直接生理的に、あるいは間接的に性的対立のダイナミクスに影響した結果ではないかとしている。また小型種では交尾後の拘束時間が短いので性的対立がそれほど重要ではない可能性にも言及している。